2009年10月29日

NO.31 ふるさとの香り

人間が感じる五感の中でも臭覚は記憶にとても直接的につながっていていろんな出来事や思い出をよみがえさせられると、あるドラマの刑事が語っていました。
人間が五感のなかで、1番に感じるとることができる中の多くは視覚、目から見えることや見えるものです。
人と出会って7秒で相手の印象がきまる。
ということも視覚から受ける影響が大きいことをあらわしています。
確かにそうだと思います。
ちょっとした通りすがりにフアーと感じるおいしそうな匂い、それはどこから流れてきたのかわかりませんが、人間の脳をちゃんと刺激して ランチはこれを食べよう!なんてきめてしまうくらいおいしい料理の匂いだったりします。
その香りですが、ふるさと越後の秋は農作業の稲刈りや秋の味覚の香りでどこもかしこもいっぱいになります。
稲刈りが終わった田んぼでは、残った稲穂の残りでも燃やしているのか、なにかを焼いた煙が立ち上りそこにも煙の香りが漂います。
すこし車をとばして郊外にでてみると、そんな香りが窓をあけた車のなかにも自然にはいってきます。
あーっふるさとの香りだなーとかんじる幸せな一瞬です。
ところが今年はなぜか春の鼻炎がおさまったのに、ずーと鼻がぐずぐずでした。
どうしたのだろうと思っていたら友人いわく、それは稲のかりとったときの埃のアレルギーかも?なんて素人ドクターがみたててくれました。
なんだかそれからずっと鼻声です。もうおちついてもいいのですが。
それでも外の香りは、なんとなく昔にタイムトラベルしてしまうほどのいいにおいで体を包んでくれて、はるか遠い昔、いなかの母の実家の裏山で遊んだ記憶や、いろりで栗をにた匂いがうかびあがってしばし心豊かな時間にひたれます。
もう充分に子供のころには戻れないことはわかっているのですが。
雪が降りそうな季節になると不思議ですが、空気の中に氷の匂いが感じられることはありませんか?
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2009年10月22日

NO.30 いまどきの暮らし

住まいのリノベーションをはじめて数年たちます。
東京の若者の暮らしが少しづつ変わってきているとなにかの番組で取り上げられていました。
賃貸住宅で暮らす都会の若者たちも暮らし方を少しづつ変えてきています。
古くなったマンションのリノベーションでのプランでしたが、大きなリビングルームにあたる憩いのスペース・レストランのような厨房設備まではいきませんが、何人かが使えるキッチンなど、ある程度の共有スペースがありながら、個人のプライバシーが守られた水周り完備の個室スペースがそなわった集合住宅に暮らす若者たちの様子がとても楽しそうに映し出されていました。
なんだか年を重ねた人たちが暮らすグループホームみたいですが、この暮らしかたは欧米や欧州などの国では若者のライフスタイルではいがいと当然なくらい昔からありました。
ルームシェアや同居人募集など、合理的で他人に干渉しない欧米人ならではと若い頃は私も思っていましたが、今の日本でも受け入れられたのはどうしてかしらと思いながら見ていたら、一人暮らしの不安や心配事などは何人かで暮らすと、あまり感じなくなります。
そしてその仲間のなかで料理の得意な人・話すことが大好きなひと・掃除が得意など分担したりと自然に集まってちょっとしたサロンパーティのような楽しみがうまれます。
そういったほかの人とのまじわりや何かを共有する喜びなど、今の若者は自分さえよければいいのかな?なんて思っていましたが、とんでもない!
以外と友達も欲しいし、話もしたいしと普通だったのだなーと番組をみて思ったしだいです。
もちろんそのマンションのデザインや間取りやこだわりなどを考えて自分の住まいを探して自分にぴったりな住まいにめぐりあうと、と意外なほど考えや趣味などが共通な人たちがそこに集まるのですから結果たのしい暮らしがまっているのですね。
まるで昔の大家族のようですね。
少なくなった家族を他人で補う!いつの時代のひとりではいきていけませんから。
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2009年10月15日

NO.29 越後一宮

久しぶりの天気の良い1日、弥彦神社にいってきました。
稲刈りの終わった田んぼが続く街道を一直線に走ること30分ちょっとで弥彦に着きます。
秋の装いでいっぱいの山の中の神社の参道をゆっくりと進むと体も心も清められたような、とてもすっきりとした感じになります。
やはり越後人として1年のはじめは弥彦参りからと私の祖母が昔よく言っていました。
そのせいか、私自身も初詣はずっとかかしたことがありません。
昔はもちろん車もなく草鞋の替えを用意して歩いて弥彦まいりにいったそうです。
2〜3日かかりでいったものだと、小さい頃いろりのそばでおばあちゃんがそのときの話をしてくれたことを、充分の歳月がすぎても忘れていません。
今考えると昔の人はよくそんな事をしたものだと思いますが、テレビやほかの楽しみもない時代、神仏を大切にする心とその旅の途中にあるささやかな楽しみが、昔の人の行楽でもあったのかしら?と思えます。
旅の途中にある親戚の家に寄ったり、またときには、泊まった宿の部落がちょうどお祭りだったりすると、それを楽しんだりしたと話しのなかでききました。
今のこのスピードの速い時代では考えられないくらい、ゆったりと時間がすすんだ時代だったのでしょう。忙しく毎日を過ごしているからなおのこと、いい時代だったのだな!と理解ができます。
そんないい時代のようにはいきませんが、お参りをすませ車をとめた駐車場の前の通りにならぶお土産やさんにより、いつものこんにゃくを食べて一休み。
それでも昔の人のような訳にはいかず半日でもとてもゆっくりしたな、と自分では思いながら新潟にむかって車を走らせました。
お正月にくるときは神社で初詣をすませてから、和納にあるりょうごんじ(別名厄すて寺)によって家族全員の1年の厄祓いをしてもらいます。
大きな赤い鳥居をくぐって1年に何度かは足を運ぶ越後人です。
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2009年10月08日

NO.28 季節の便り

今年のおこめの出来は良かったのでしょうか?
なんだかここ数年気候もおかしくて、早いころに暑かったりしたと思ったのもつかの間、夏は雨が多くて、散々な夏でした。
娘の友人が今年の夏休み、わざわざ関東から新潟の海に楽しみにして海水浴にきましたが、たまたまその3日間が雨続きでした。せっかく買ってまで用意してきた浮き輪を家に置いたままで、新潟の海を一度も堪能もせず帰っていきました。
この気候の変化だけのせいではないでしょうが、デパートなどのショップでも早いうちからサマーセールがあり、夏物の大バーゲンはあっというまで、すこし夏物ほしいなーなんて思った頃はもう売れ残りの状態でした。その後少し暑い日があったりしたときのお店はもうすっかりと秋冬物に変わっていて、なんだか季節感が違いすぎて結局なにも買わずじまい!季節のさきどりもほどほどでないとな!と感じました。
春・夏・秋・冬という豊な季節の移ろいをいつも感じながら暮らしてきた私たちにとって、ちょっとばかりさみしい感じがします。
秋になると決まってやることの一つとして、車を走らせすすきをとりにいってきます。もう少し時間があったら、村松の先の慈光寺さままで車をとばして栗の枝を数本もらいにいって、お客様を迎える玄関やエントランスにかざります。そうするとそこの空間は秋の虫の鳴き声がきこえてきそうなムードが漂ってきて、うーん!秋だなと満足してしまいます。
そしてもうひとつやることが、おいしいモンブランのケーキをいただくことです。
どこのケーキといったこだわりまではありませんが、クリの味がたっぷりと味わえるモンブランは秋の恒例行事のひとつです。
秋は食べ物もたくさんのおいしいものがあり、春の次に大好きな季節です秋は。
新潟は山も田畑も豊かです。
そこからとれる作物がまたおいしくて、新潟に暮らしていてよかったと思える季節でもあります。季節をさきどるのでもなく、今ある目の前の季節を楽しみたいとおもいます。
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2009年10月01日

NO.27 食の話

新潟の人はラーメン好きな人が多く、おいしいラーメンやさんがたくさんあります。雑誌などでも必ずといっていいほど特集記事がでますよね。
そういう私もラーメンは大好きで、細い麺で好みのさっぱり味なら毎日食べてもいいくらいです。
仕事で知り合った友人から紹介してもらった本町のはずれにあるラーメンの店「田吾さ」さんのラーメンはまさに私の好みにぴったりとあっていました。1番のお勧めということで初めてつれていってもらったときは野菜たっぷりのみそラーメン、その次はつけ麺などとメニューの上から順番に食べています。
マスターが一人でやっているのですが、お客様が年齢も職業もばらばらで、なんと高齢者のおおいこと!とっても元気で威勢のいいおばあちゃまたちがカウンターにすわってラーメンを食べる姿はみていてうれしくなります。値段も安く健康的にも野菜たっぷりで、ラーメンといえばここ!というくらい、いまはまっているところです。
お店は昼前から午後は休みなくやっていて、昼を食べ損ねて3時ころ行ってもやっているのがうれしくなります。
そこのお店の近辺はとても素敵な専門店がならんでいて、仕事で遅くなるときなどここで買い物をしたら今晩の夕食はばっちりかしら!と思えるほど。
なかなかこだわりの専門店がならんでいるところで、そんなところがちょっとちいさな発見でした。総菜のおいしいお豆腐屋さんや八百屋さん、さかなやさんなど、昔は当たり前の風景だった商店街ですが大きなスーパーや大型専門店などにいつのまにか慣れてしまった私にはとてもなつかしく、そしてこれからはこんな町作りや商店街が必要になってくるのではないかしらと思いながら、そこのラーメンを食べに通う日々です。
そして必ずやなにかしらひとつは買い物をして仕事にもどります。
高齢化社会と商店街の衰退など今の時代を映し出しているようなひとこまですが、その一角だけはなんとなくにぎやかで活気があっていい街だなと思えるのは私だけではないと思います
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