このままでいいのかしら?いったい私はなにをしているのだろうか?
これが納得のいく答えかしら?と考えてしまいます。
そしてだんだん霧の中にさまよって入り込み、結論にたどり着くどころかかえって泥沼にはまってしまい、最後には寝そびれてしまうこともあります。
このところそんな状態が続いていましたが、ある雑誌のなかで「当たり前」がいいと大正大学名誉教授 村中先生が語った話がのっていました。
一昔まえはとんでもないことは遠いところでおこるものでしたが、今の世の中は身近に迫ってとんでもないことが起こっています。
普通ではなく常識が壊れてしまった世の中になってしまっているが、競争社会のなかで自由でありながら自立することの難しさも述べていました。
そんな世の中で生きることや自立が難しくなると人は遅れを感じて気力を失うか、自分の殻に閉じこもるか、見えないところで鬱憤を発散させたりするのだそうです。
ここまで読んで、そうか!そうだよね!わかるわかると心の声がどこからか聞こえてきました。そんなときは気張って生きることでなくて、当たり前に爽やかに生きていこうと思うことがいいそうです。
まず人として成長し続ける意思を持つことが大切で、その意思は未来の先を予見して創造するおもいなのだそうです。そして広い視野に立って自分の生活習慣を修正して、さらにほかの人の意見や立場を理解するようにつとめ、偏らない意思を持つことが大切だと語っています。そこから日ごろの自分の生き方を省みて誰でもが認める「当たり前」のいき方が出来るのではないだろうかといっています。
道理が通らないことが多いこの世の中ですが、この文のなかのわが身も心も「当たり前」に従って自己を律することが今求められていると結んでいます。
長い間のなれと気持ちの緩みからくる不安定さを自分を律することで、きっとまた新しい道がひらけてくるのだろうとこの文を読んで心がふっと軽くなりました。