稲刈りの終わった田んぼが続く街道を一直線に走ること30分ちょっとで弥彦に着きます。
秋の装いでいっぱいの山の中の神社の参道をゆっくりと進むと体も心も清められたような、とてもすっきりとした感じになります。
やはり越後人として1年のはじめは弥彦参りからと私の祖母が昔よく言っていました。
そのせいか、私自身も初詣はずっとかかしたことがありません。
昔はもちろん車もなく草鞋の替えを用意して歩いて弥彦まいりにいったそうです。
2〜3日かかりでいったものだと、小さい頃いろりのそばでおばあちゃんがそのときの話をしてくれたことを、充分の歳月がすぎても忘れていません。
今考えると昔の人はよくそんな事をしたものだと思いますが、テレビやほかの楽しみもない時代、神仏を大切にする心とその旅の途中にあるささやかな楽しみが、昔の人の行楽でもあったのかしら?と思えます。
旅の途中にある親戚の家に寄ったり、またときには、泊まった宿の部落がちょうどお祭りだったりすると、それを楽しんだりしたと話しのなかでききました。
今のこのスピードの速い時代では考えられないくらい、ゆったりと時間がすすんだ時代だったのでしょう。忙しく毎日を過ごしているからなおのこと、いい時代だったのだな!と理解ができます。
そんないい時代のようにはいきませんが、お参りをすませ車をとめた駐車場の前の通りにならぶお土産やさんにより、いつものこんにゃくを食べて一休み。
それでも昔の人のような訳にはいかず半日でもとてもゆっくりしたな、と自分では思いながら新潟にむかって車を走らせました。
お正月にくるときは神社で初詣をすませてから、和納にあるりょうごんじ(別名厄すて寺)によって家族全員の1年の厄祓いをしてもらいます。
大きな赤い鳥居をくぐって1年に何度かは足を運ぶ越後人です。